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天草コレジオ謎に光
     
         
慶應大高瀬弘一郎名誉教授   「羅葡日対訳辞書」   大英図書館(英国)
慶應義塾大の高瀬弘一郎名誉教授   東大史料編纂所の五野井隆史名誉教授   大英図書館(英国)
The British Library in London
         
河内山ため池   河内の浦=河浦   大英本とイエズス会本比較
1601年イエズス会年報(大英本)   カワチノウラ(河内浦)=河浦の文字   大英本とイエズス会本比較
       
「天草キリシタン10の謎」   「イソップ物語」   「天草キリシタン10の謎」(天草テレビ出版、2020年10月発行。アマゾンで販売中!)
天草コレジオの所在地を示す史料「1601年度イエズス会年報(大英図書館蔵)や、「島原の乱」関連古文書〜天草四郎の目撃情報など幕府側の報告書47枚、53点(個人蔵)、東京大学総合図書館、東京大学史料編纂所、京都外国語大学附属図書館などが所蔵する貴重な資料を約100ページにわたって原本の写真を図録として収めました。詳しく>>
「天草キリシタン10の謎」の表紙
(天草テレビ出版・アマゾンで販売中!)
  新発見の大英図書館に現存する史料などを輯録
「天草キリシタン10の謎」の史料輯。アマゾンで販売中!
 
 
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天草コレジオは河浦に!
跡地論争に終止符か 大英図書館に場所を示す古文書
〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)続編


平家物語やイソップ物語など日本初の活版印刷本「天草本」などを印刷したことで知られるキリシタンの最高学府で宣教師養成のための神学校「天草コレジオ(学林)」(1591〜97)の所在地について現在の熊本県天草市河浦にあったことを示すフランシスコ・ロドリゲス神父の古文書が大英図書館(英国)に所蔵されていることが分かった。具体的な地名について言及した文書が確認されたのは初めて。「キリシタン時代のコレジオ」(八木書店)などの著書があり、研究の第一人者、慶應義塾大の高瀬弘一郎名誉教授がこのほど解読。地元郷土史家らを中心に60年以上続いた跡地論争に終止符を打つとみている。(1)

ロドリゲス神父の記事は長崎にコレジオが移された4年後の1601年9月30日付け1601年度イエズス会年報で、高瀬名誉教授の訳によると「天草の内のカワチノウラ(河内浦)という地では彼らは慰められた。そこは迫害の時に、永年にわたりコレジオがひっそりと存在した地であった。」と書かれている。原文はポルトガル語で、Amacusa(天草)や 河浦を指すCauachinoura(カワチノウラ=河内浦=ウラのuは第三声の声調記号を付けたラテン文字*上の写真参考)、collegio(コレジオ)の文字がある。(2)河内浦は現在の熊本県天草市河浦町を指す。1802年に天草町高浜の庄屋、上田宜珍(よしはる)が書いた「天草島鏡」に「天草伊豆守鎮種 天草郷河内浦城に住す後下田と伝」とあり、現在の崇円寺周辺あたりがコレジオを誘致した天草氏の居城地とされる。
ロドリゲス神父は1560年、ポルトガルに生まれ、イエズス会に入り司祭として88年に来日。翌年、現在の長崎県大村市や92年、南島原市の八良尾にあったセミナリオで布教し、1603年に日本管区の代表としてローマに派遣された。記事はその間に書かれたものと見られる。

かつて地元では、天草コレジオの跡地をめぐり、06年の天草市合併前の1958年から旧本渡市と旧河浦町で郷土史家らを中心に激しい論争を繰り広げてきた。1591年、長崎の加津佐から天草へ移転。そして再び長崎へ移って行く1597年までの6年間、本渡と河内浦の名は、迫害のため場所を隠蔽する必要からか、宣教師たちの書簡にも残っていない。また国内の古文書も、小西行長、天草両氏共に滅亡し、記録はほとんど残っていない。さらにキリシタンの迫害、島原・天草の乱の結果として関係資料は煙滅して研究をさらに困難なものにしている。場所を示す文献や考古学資料の決定的な証拠は未だ、示されていなかった。(3)

しかし2001年、長崎市にある日本二十六聖人記念館の故・結城了悟元館長が発行した冊子「天草コレジョ」に河浦説の結城元館長がロドリゲス神父の記事の訳文を示し、「疑問の余地がない」と発表した。これで河浦に決定される!と郷土史家たちは小躍りしたが、出典先にその記事はなく、公開を求めても「史料を提供してくれた友人が亡くなり、連絡が取れない」との理由で、原文は公開されないまま08年、結城元館長は亡くなる。(4)
2020年11月、天草テレビが調査報道の過程でこの文書の存在を知り、写真を入手。高瀬名誉教授に解読を依頼し、地元の郷土史家らで作る天草キリシタン研究会で発表した。

高瀬名誉教授によると「文脈から recolhido o collegio は明らかに天草コレジオを指す。小文字の書き出しだという点は、ここでは考慮に入れる必要はないと思う。年報文面の通り、天草河内浦にはかつてコレジオが隠れて存在していた、という過去の事実、しかもそれを重要な事実として言及している文章だ。年報執筆時から見て過去の迫害時に、コレジオが河内浦に所在したとの記事に疑義を抱かせるような文面ではない。本渡か河内浦かの論争については、今はもう議論の余地はないと言ってよいのではないか」という。

また、この年報は2本伝存し、ローマ・イエズス会文書館と大英図書館が所蔵している。イエズス会本には天草コレジオの記述はない。同じくキリシタン史研究の第一人者で東大史料編纂所の五野井隆史名誉教授は、それぞれの内容を比較した。それによると、

(A)イエズス会本:1)日本の一般状況報告、2)長崎のカーザとレジデンシア、3)山口および備前のレジデンシア

(B)大英本:1)同上、2)長崎のカーザとレジデンシア、3)大村のカーザとレジデンシア、4)有馬のカーサとレジデンシア、5)都のカーザとレジデンシア、6)山口と豊前のキリシタン教界

大英本の2)〜5)がイエズス会本の2)に当たり、書き出しはA、Bとも同じだが、B)では、政治状況が中心になる。B)の署名は本人のものだ。
おそらく、Aが年報の書式体裁から逸脱しているので、B本を書き改めたのかも知れない。Aの1,3はBと同文。その2も、A2のものと書き出しは同じなので、これ(A2)を下敷きにして書かれたのかも知れない。「記載記事は信頼出来る。コレジオが河内浦にあった事は否定できない」とする。(5)

地元で長い間、論争を見てきた天草文化協会の堀田善久元会長(99)は「今後は遺物発見による実像の解明に期待したい」と話している。
河浦町には世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の崎津集落がある。今後、コレジオの遺跡が見つかれば南蛮文化を象徴する重要史跡として、世界からさらに注目を集めそうだ。
(金子寛昭)

(2020/2/19)

(続報)・「天草コレジオ(学林)」が河浦にあったとする学説を提唱した天草キリシタン史研究家で宇城市の鶴田倉造氏が2020年4月22日午前4時6分、老衰のため熊本市内の病院で死去した。享年97歳だった。
詳しく>>>

◎註:
(註1)フランシスコ・ロドリゲス神父(P.Francisco Rodrigues S.J.,c.1560-1606)Schütte,Monumenta historica Japoniae I: Textus catalogorum Japoniae aliaeque de personis domibusque S.J. in Japonia informationes et relationes, 1549-1654 pp293,1283,414-415.

キリシタン文化研究会『キリシタン研究』第24輯 1984年 チースリク「マトス神父回想録」(40)86頁。

高瀬弘一郎「天草コレジオの活動」『キリシタン時代のコレジオ』八木書店、2017年、218-368頁。慶應義塾大の高瀬弘一郎名誉教授 キリシタン史が専門。『キリシタン時代の研究』岩波書店(1977年)で日本学士院賞を受賞。

(註2)『1601年度イエズス会年報』1601年9月30日付(大英図書館所蔵) Add.Mss.nos.9859. ff149-191.
慶應義塾大の高瀬弘一郎名誉教授の訳による。(f173、2枚目17行目、Ainda que… より)
「戦いのため、そしてこれらの島が異教徒の領主たちの支配下にあるために、パードレたちは常にそこに落ち着いていることは出来なかったが、同地に存在したイエズス会の諸カザ(casas)は決して見捨てられることはなく、常にそこには日本人イルマンたちまたは同宿たちがいたし、またパードレたちも頻繁にキリスト教徒たちを訪ねて彼らを慰めた。しかし、パードレたちがシマド志摩殿(Ximado)の許可を得て同地に落ち着くために戻ってきた今は、同地はレイトラド・デ・アリマ有馬院長管轄区に従属することになった。同地と有馬の地との間は、二、三レグワの入り海で隔てられるに過ぎないからである。パードレたちが同地に戻って来たために、キリスト教徒たちが感じた喜びは大きく、次のように語った。これ程短期間の内にこのように何人も領主が替わったので、極めて多くを失い多大な難儀を被ったが、もはや彼らは彼らの地でパードレたちに会い、もう全く悲しみはない、と。ことに、天草の内のカワチノウラ河内浦という地では彼らは慰められた。そこは迫害の時に、永年にわたりコレジオがひっそりと存在した地であった。というのは、一人のパードレがそこに着いたまさにその日に、シマドノ志摩殿の役人たちが三人のキリスト教徒を捕らえてその首を斬ろうとしたからである。彼らが主君の禁令に背いて、森林に行って木材を切り出したからである。同パードレがこれら異教徒の役人たちに伝言を送って、その哀れなキリスト教徒たちを赦してもらいたいと嘆願しただけで、役人たちは直ちに彼らを赦した。」(f174、3枚目5行目、perdoarao: … まで)

結城了悟『イエズス会宣教師の記録における 天草コレジョ』日本二十六聖人記念館、2001年6月29日発行。44頁の訳文。出典先の「British Museum Add.Mss.9857」は誤りで、「Add.Mss.nos.9859」が正しい。また現在はBritish Museumではなく、British Libraryが所蔵する。以下は同冊子から引用した訳文。
「天草では迫害の時、長い間コレジオがひっそりと置かれていた河内浦という町に、一人の神父が着いたある日、志摩殿(寺沢志摩守)配下の役人が三人の信者を捕らえた。殿の命令に背いて森の木を伐採したので、彼らの首を切るように命令したところに、神父が未信者であった役人に、気の毒な信者のために取り次ぎを願って送ったメッセージだけで直ちに許された。」

東大史料編纂所の五野井隆史名誉教授は、結城氏の訳文「…着いたある日」は、「着いた同じ日」の誤り。さらに「ひっそりと置かれていた」(結城氏訳)、「ひっそりと存在した」(高瀬名誉教授訳)の箇所は、「そこには迫害の時代にコレジオが多年にわたり退避していた」と訳し、ニュアンスが異なる。

河内浦は現在の熊本県天草市河浦町。「天草伊豆守鎮種 天草郡河内浦城に住す後下田と伝」上田宜珍(よしはる)「天草島鏡」(あまくさとうかがみ)『天草郡史料』天草郡教育会1972年。31頁。

(註3)天草テレビ関連記事「天草コレジオはどこに?/60年以上も論争/決定的な証拠見つからず〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)

(註4)日本二十六聖人記念館の故・結城了悟元館長 08年没。
『天草コレジョ』日本二十六聖人記念館(長崎市)2001年、44、48頁。前述のように出典先の「British Museum Add.Mss.9857」は誤りで、「Add.Mss.nos.9859」が正しい。また現在はBritish Museumではなく、British Libraryが所蔵する。
天草テレビ関連記事に詳しく記述。>>>「天草コレジオはどこに?/60年以上も論争/決定的な証拠見つからず〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)


(註5)『1601年度イエズス会年報』1601年9月30日付(大英図書館所蔵)ロドリゲス神父の署名は同記事にある。Add.Mss.nos.9859.f191。

◎協力:
慶應義塾大 高瀬弘一郎名誉教授 『キリシタン時代の研究』(岩波書店)、『キリシタン時代のコレジオ』(八木書店)など多くの著書がある。

東大史料編纂所 五野井隆史名誉教授 近著に『ルイス・フロイス』吉川弘文館<人物叢書> 2020年、など多くの著書がある。


天草市河浦町「天草コレジョ館」0969(76)0388

◎関連記事:

天草テレビ出版編著者「天草キリシタン10の謎」天草テレビ出版(2020年10月発行)

「天草コレジオはどこにあった?」八木書店公式サイト(2020/4/22)

天草テレビ「鶴田倉造氏が死去 天草コレジオ河内浦説を提唱」(2020/4/22)

○天草テレビ「新史料再び発見!オーストリア国立図書館に所蔵!河浦に天草コレジオ」(2020/4/20)

○西日本新聞 「天草コレジオ 謎に光 河浦示す古文書 英国に キリシタン最高学府所在地論争60年超」(2020年2月9日朝刊)記事中34行目「ラテン語で」は「ポルトガル語で」の誤りでした。お詫びして訂正します。(金子寛昭)

○西日本新聞 「天草コレジオ謎のまま?跡地の所在 かつて大論争 合併で下火 郷土史家危機感」(2019年12月14日朝刊)

○天草テレビ関連記事「天草コレジオはどこに?/60年以上も論争/決定的な証拠見つからず〜天草キリシタンの謎シリーズ(1)」

○天草テレビ関連記事「倉庫外に33年間放置したまま!/実は貴重な礼拝碑「カルワリオの十字架」/天草で初めて発見!史料的価値 高いと専門家」

○天草テレビ関連記事「新説を提唱!謎のキリシタン墓碑/新説を提唱!謎のキリシタン墓碑/イエズス会士のロペス神父か?」

○西日本新聞 「十字架刻む石碑 33年放置 天草市のため池から発見」(2019年12月7日朝刊)

○西日本新聞 「イエズス会神父埋葬か 地元の研究家が新説」(2019年12月3日朝刊)

 
         
グーテンベルク式の金属活字印刷機と天草本   「イソップ物語」   「ヒデスの導師」
グーテンベルク式の金属活字印刷機と天草本
(複製=河浦町「天草コレジョ館」)
  天草コレジオで印刷された「イソップ物語」
(複製=河浦町「天草コレジョ館」)
  天草コレジオで印刷された「ヒデスの導師」
(河浦町「天草コレジョ館」)