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楠浦焼
     
         
辰砂の破片   砂目   荒磯
辰砂の破片   砂目積み   鳳凰・雲竜荒磯文碗の破片
     

肥前・有田と同じ初期の陶磁器出土/天草「楠浦焼」/学術調査の募金など関心高まる


17世紀初めに日本で初めて国産磁器を焼いた「有田焼」(註1)などに代表される肥前(佐賀県)のやきものと同じ時期に始まったとされる熊本県天草市楠浦町の「楠浦焼」。専門家は「肥前以外には例がなく、たいへん貴重な窯だ」という。しかし幕末に消滅してしまい、今や地元でも忘れ去られてしまった。このほど元教員で教育関係の法人を運営する同町の立尾信之介さん(37)(註2)らがやきもの展などを開催し、埋もれてしまった「楠浦焼」の歴史に光を当て、地域振興に役立てようと学術調査をするための募金活動を始め、地元で関心が高まっている。

「楠浦焼」は民間資料館「天草郷土資料館」の故錦戸宏館長(2002年没、享年72歳)(註3)が、同町方原(ほうばる)川近くに散在する窯跡4基を調査し、陶磁器片などの資料を収集。1982年に執筆した「日本やきもの集成」12巻九州II沖縄(平凡社)(註4)で、「楠浦焼」の壺や徳利、出土品を初めて紹介した。肥前の窯などと同様に古い陶磁器を生産していることから、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592年—1598年)(註5)の際に、加藤清正が連れてきた陶工らによって始まったという説と、漂着した中国人が焼き始めたという説の二つが伝えられるとした。

佐賀県有田町にある「九州陶磁文化館」の大橋康二名誉顧問(註6)は80年代後半に錦戸氏のもとを訪れた際に、「無地唐津、鮮紅に発色した辰砂(しんしゃ)(註7)唐津、初期伊万里そっくりの小皿や染付(註8)・白磁など天草の中では例外的に古い資料がある」といわれ、「楠浦焼」の陶磁器片などを初めて見たという。

大橋氏によると肥前のものと比較すると1610年から30年代の同時期に作られた陶磁器で、肥前以外ではこれまでに発見されていないものだった。1590年代の資料が発見されていないことから、楠浦焼の始まりは陶工が朝鮮から直接、天草にやってきたのではなく、「関ヶ原の戦い」(1600年)の翌年に天草は唐津の寺沢広高(註9)の領地になっており、それをきっかけに肥前から天草へ陶工集団がやって来たのではないかと推測する。また同窯ではいち早く磁器生産も始まり、さらに東南アジア向けの輸出品も生産していたという。「肥前の一番、初期のものがあり、驚いた。重要な窯なので、みなさんにぜひ、知ってもらえれば」と話す。

市文化課によれば、1998年に現地を測量をしただけで、錦戸氏以降、本格的な調査は行われていないという。立尾さんは今年4月に窯跡を見学。地元に貴重な遺跡があることを初めて知った。地域に呼びかけたところ7人が賛同し、集まった。実行委員会を立ち上げ、「楠浦やきもの展」を開催。錦戸氏の資料で時代判定の決め手となった砂目積みによる重ね焼(註10)の跡が残った陶器皿や、1630〜40年代で最初期に焼かれた磁器で白色の皿に青い文様の入った染付磁器、50〜60年始めに海外にまで輸出された鳳凰・雲竜荒磯文碗(ほうおう・うんりゅうあらいそもんわん)(註11)の磁器片などを展示している。

「実態がまだよく分からない"幻"の楠浦焼だが、本格的な調査を行って、窯の歴史が解明され、後世に伝えていければ」と今後も周知活動やイベントを企画したいという。募金は会場の楠浦地区コミュニティセンターやネットでも受け付ける。インターネットのホームページでも寄付ができる。
(金子寛昭)
(2022/7/31)

◎註:
(註1)「有田焼」伊万里の港から各地に出荷されていたため、「伊万里焼」とも呼ばれている。肥前磁器の焼造は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、連れて来た朝鮮人陶工らにより、17世紀初期の1610年代から始まった。

(註2)立尾信之介さん(37) 一般社団法人夢教育ネットワークを運営。 通信制高校の勇志国際高等学校の元教員。 JICA(日本海外青年協力隊)としても活動。 ネットでの寄付ページ。(期限なし)

(3)「天草郷土資料館」故錦戸宏館長(2002年没、享年72歳)

(4)「日本やきもの集成」12巻九州II沖縄、平凡社、1982年。錦戸宏「天草のやきもの」16ー17、114頁。

(5)豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592年—1598年)加藤清正、小西行長らが出兵。小西の家臣に天草久種がいた。

(6)佐賀県西松浦郡有田町の「佐賀県立九州陶磁文化館」大橋康二名誉顧問、第77回西日本文化賞を受賞。

(7)辰砂(しんしゃ)下絵付けで赤い装飾を施したやきものを日本では「辰砂」と呼び、呈色剤に銅が用いられる。焼成前は銅の酸化物である黒色の酸化第二銅の状態で用いられ、そこから、還元焼成を行うことで酸化第一銅に変化し、赤色を呈する。

(8)染付〜呉須(ごす=陶磁器に用いる顔料の一種)で、焼成することにより釉(うわぐすり)と溶けて青い色を出す。呉須で下絵を書き釉をかけた磁器を,日本では染付といい,中国では青花とよぶ。

(9)寺沢広高(志摩守)関ヶ原の戦いの戦功報償として1601年から、肥後天草を飛び地として治める。1633年没。

(10)砂目積みによる重ね焼。

(11)鳳凰・雲竜荒磯文碗(ほうおう・うんりゅうあらいそもんわん)

 
     
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