Top
 
   
   
 
 
     
 
故・永田ミツエさん
 
     
     
  ■おくやみ
 
 
 
 

永田ミツエさん(ながた・みつえ)

天草テレビのミッちゃんこと永田ミツエさんが2017年11月19日、老衰で亡くなった。
享年93歳だった。

大正13年2月20日、鹿児島県出水市で2人兄弟の長女として生まれた。そして7歳の時、両親のふるさと新和町小宮地に引っ越してきた。
昭和19年に12歳年上の地元の男性と結婚し、男の子が生まれた。しかし時は太平洋戦争の真っ直中で、夫は3カ月後に出征して行った。
そして終戦間近の昭和20年3月、南方戦線に向かう途中、夫の乗った輸送船が敵艦の魚雷を受け沈没。ミッちゃんの手元に戦死の報が届いた。

21歳で夫を亡くし、残された一粒種の息子を育てるために、女手一つで田畑を耕し、牛も飼った。その時の苦労は大変なもので、持ち前の負けん気で、「男にゃ負けんぞ、と裸足できばってきた」と話していた。
息子は地元の高校卒業後、大阪に就職。一人暮らしを続けていた。 昔、苦労した分、今はのんびりと「自分の好きなように暮らしている」と話していた。

健康のために始めたゲートボールは「老人のよかスポーツです。続けんば!」とご近所の仲間と出かけて行っていた。「一に健康、二に健康。三、四がなくて、金は天下の回りもの」「子は国の宝!」が口癖で、人生訓だった。
歌や三味線も得意で、社交的だった。小宮地地区で「ミッちゃん」といえば「知らない人はいない」というほど、みんなに愛される人気者だった。

2007年3月、新和町出身者の「ふるさと新和会」総会で上映する「ふるさとビデオ」で、リポーター役としてミッちゃんに白羽の矢が当たった。
桜咲く4月、撮影開始。番組はミッちゃんが新和の各地区を回り、ふるさとの人たちが都会に出て働く子供達や友人に、「がんばれ!」と励ましのメッセージを送るビデオレターだった。

2007年4月、東京港区南青山「ハートイン乃木坂」で「第14回関東ふるさと新和会総会」が開催。 新和町出身者をはじめ約100人が出席した中で、番組が上映された。
天草弁で語りかける懐かしいふるさとからのメッセージに感動し、番組終了後、みんな立ち上がっての拍手!だった。
鮮烈なデビューだった。 その後の番組でも得意の歌や、おしゃべりでまわりのみんなを笑いの渦に巻き込み、そして元気づける。
女子アナとして活躍し、2010年11月にシンガポールテレビ「CNA」が同行して行った取材が最後だった。

一人息子に看取られながら、天国に旅立っていったミッちゃん。
謹んでご冥福をお祈り致します。

(2017/11/23)

 
 
     
Copyright,2001-2017amakusa.tv. All rights reserved.